50代になって、心も体も正直になってきた。
昔なら「もう少し頑張れた」のに、今は頑張ることそのものが苦しい。
それでも、続けたい想いがあったからこそ、“やめる選択”をしました。
これは、夜の営業をやめた話であり、心の重荷をひとつ降ろした話です。
そして、「やめる=終わり」ではなく、「続けるためにやめる」という選択が、
自分にも、家族にも、次の未来を連れてきてくれた話です。
決断前に抱えていたモヤモヤと限界

く続けてきたからこそ、やめるわけにはいかない——
そう思いながらも、心も体も少しずつすり減っていく感覚がありました。
続けるために必要なのは、もう「頑張ること」ではなかったのかもしれません。
そんな日々の中で感じていた、リアルな葛藤と限界についてお話しします。
夜ご来店予定のお客様を思うと、心が痛む日々
閉店時間が近づくと、調理場の熱と一緒に胸の奥までじんわりとした痛みが広がりました。
──「車を運転してこちらに向かっている常連さんがいるはずだ」
──「仕事帰りに“今日もオムライス食べよう”と期待しているかもしれない」
「また来ますね」という言葉が、むしろ私の背中を重くします。もし店の前で「クローズ」の札を見つけたら、どれだけ落胆させてしまうだろう──そう考えるだけで、のど元が詰まりました。
しかも、30年という年月を共に歩んできたお客様ほど「今日もありがとう」の一言を大切にしてくれる方ばかり。私にとって夜の営業を休むことは、自分の都合ではなく、お客様の期待を裏切る行為のように思えて仕方ありませんでした。
この罪悪感は、体の痛みや不安感よりも大きく心にのしかかります。手首に痛みを覚えても、睡眠時間が削られても、「今日だけは何とか開けよう」と自分を奮い立たせる。そうして限界ギリギリで走り続けた日々が、やがて“続けるためにはやめるしかない”という逆説的な結論に私を導いていくことになるのです。
長年の体の不調と、いつも心にかかるもや
実を言うと、体の不調はずっと前からありました。
厨房仕事特有の手首への負担から、手根管症候群になったのはもう何年も前のことです。さらに、テニス肘による肘の痛みもあり、重い鍋やフライパンを扱うたびに鈍い痛みが走るのが日常でした。
しかし、もっと厄介だったのは、睡眠不足からくる心と体のじわじわとした疲労でした。寝ても疲れが取れない。朝から頭が重く、集中力も続かない。そしてなにより、**「ずっと何かに追われているような不安感」**が、日々まとわりつくようになっていたのです。
それでも「店を開けなければ」「お客様をがっかりさせたくない」「家族を養わなければ」という気持ちが強く、痛みや不調を「感じないふり」でやり過ごしていました。
そんなある日、妻にふと言われたんです。
**「最近、怒りっぽくなってない?」**と。
それは、ただ疲れているだけではなく、心が余裕を失っていた証でした。もやがかかったように思考が曇り、楽しかったはずの仕事が、次第に“やるべきこと”に変わっていったのです。
無理を重ねてようやく気づきました。
**「このままじゃ、体も心も壊れてしまう」**と。
やめることは逃げではなく、自分を守るための「回復の選択」だったのかもしれません。
スタッフの一言に、私の“迷い”がにじみ出ていた
ある日の仕込み中、20年以上一緒に働いているベテランスタッフがふとこう尋ねました。
「店長、夜のスタッフは増やさないんですか?」
その声は決して責める口調ではなく、純粋な疑問と心配の入り混じった柔らかいトーンでした。けれど私は、一瞬、包丁を握る手が止まりました。なぜなら、その問いが**“私自身の迷い”**をまっすぐ射抜いていたからです。
夜の人員不足は何か月も前からわかっていた問題でした。本来ならすぐに求人を出し、シフトを整えるのが経営者としての義務。しかし私は、求人票を作ろうとしては下書きを考え直し、掲載ボタンに指を伸ばしては戻す…そんなことを繰り返していたのです。
続けるためにやめる決断。時間の再配分が必要だった
夜の営業をやめることは、「続けることを諦める」選択ではありませんでした。
むしろ私は、**「これからも店を続けていくために、やめなければならない」**と考えるようになったのです。
飲食業という仕事は、想像以上に時間を奪います。
仕入れから仕込み、営業、片付け、事務作業。毎日のようにこなしても、やるべきことは減りません。気がつけば、24時間のうちのほとんどを「お店のため」に使っていました。
けれど、年齢を重ねるにつれて、体力の回復スピードは確実に落ちてきている。
「昔はこれくらい平気だった」と言い聞かせながら働くうちに、蓄積した疲れが心の余裕までも奪っていきました。
そんな中で、ふと気づいたのです。
「自分の人生を“お店”だけに捧げ続けていていいのだろうか?」
家族との時間、自分の体を休める時間、何でもない日常の会話や笑い。
そのどれもが、私にとって「店を続ける力」になるのに、肝心のそれらがどんどん削られている。
だからこそ、私は決断しました。
“続けるためにやめる”——夜の営業という選択肢を減らし、人生のバランスを整えるための再配分。
お客様の笑顔を守るためにも、家族の笑顔を大切にしなければならない。
そして何より、店主である私自身が健やかでいなければ、この店は続けられない。
そのことに、ようやく素直に向き合えるようになったのです。
「お疲れさまでした」…その言葉を自分にかけたくなった
長く働いた1日の終わり、お客様が帰られるときに何気なく交わす言葉があります。
「ごちそうさまでした」「また来ます」「お疲れさまでした」
この「お疲れさまでした」は、いつもはスタッフ同士のあいさつとしても使われていたものですが、不思議と私自身には向けられていないように感じていました。いや、きっと自分で自分に言えていなかったのだと思います。
飲食店を30年続けていると、「店主は休んではいけない」「常に現場に立ち続けるべきだ」という“責任感”が無意識のうちに身体の芯まで染み込んでいました。自分をねぎらうことよりも、「今日も無事に終わった」「また明日も頑張らなきゃ」と、ひたすら前を向くことに必死だったのです。
でも、夜営業を終えることを決めたある日、営業終了後に厨房をひとりで片付けながら、ふと心の中でこう呟いていました。
「……お疲れさまでした」
誰かに言ってもらうわけではない。
でも、それが妙にしみて、自分の中で何かがふっとゆるむ感覚がありました。
頑張りすぎていたのかもしれません。
もっと早く、自分をいたわる余白を作るべきだったのかもしれません。
けれど、いまようやく言えるのです。
**「よくここまで続けてきたね。お疲れさまでした」**と。
それは、終わりの言葉ではなく、次に進むためのやさしい一言でした。
“やめる”と決めたのは、家族との時間がくれた気づき

夜の営業を一時的に休んだとき、初めて訪れた“空白の時間”。
その時間に、私は家族と過ごすという当たり前の幸せに、あらためて触れることになりました。
子どもの笑い声、妻との何気ない会話、テレビを見ながら一緒に過ごす静かな夜——
それは、忙しさの中で見落としていた“宝物”のような時間でした。
「やめる」という決断の裏側には、そんな日常の気づきがありました。
申し訳なさを吹き飛ばしてくれた「パパ、パパ」の声
夜の営業を一時的に休むことにした初日、私は店にいないことへの強い罪悪感を抱えていました。
「お客様をがっかりさせてしまっているのではないか」
「本当にこれでよかったのだろうか」
厨房に立たない夜は、どこか落ち着かず、時計を見るたびにソワソワしていました。
そんな気持ちを吹き飛ばしてくれたのが、我が子の声でした。
「パパ、パパ!」
テレビを見ながら、夕飯を食べながら、そして部屋から顔を出すたびに、何度も呼んでくれる。
最初は照れくささすら感じていたのですが、ふと気づいたのです。
**「自分は、今までこんなにも“呼ばれていなかった”のかもしれない」**と。
これまで私は、“家庭にいるけどいない存在”だったのかもしれません。
帰宅が遅く、子どもは寝ている時間。朝は仕込みでバタバタ。
たまに会話があっても「忙しいからあとでね」と言ってしまう。
そんな日々の中で、子どもはきっとたくさん我慢してくれていたのだと思います。
「今日はお仕事おやすみ?」「またあそぼうね」
無邪気なその言葉に、心がふっと軽くなりました。
子どもにとっては、“お客様のためのパパ”ではなく、“自分のパパ”がそばにいることが一番うれしいのだと、あらためて気づかされたのです。
そしてその夜、妻とふたりでテレビを見ながら、何気ない会話をしました。
仕事とは関係ない話を、笑いながらできたのは、いつ以来だったでしょうか。
「やめる」ことで失うものもある。けれど、それ以上に取り戻せたものがあった。
その気づきが、私の迷いを少しずつ希望に変えていきました。
準備らしい準備は何もしていない。でも…
夜の営業をやめると決めたとき、正直に言えば、これといった準備は何もしていませんでした。
頭の中での計算はしたものの改めて収支の見直しも、将来の明確な考えもなかった。
「次にこれを始めよう」と決めていたわけでもない。
ただ、心と体が限界を迎えていたことだけは、はっきりと分かっていました。
本来なら経営者として、もっと段階的に、慎重に進めるべきだったのかもしれません。
でも私にはそれができなかった。
“このままだと壊れてしまう”という感覚が、すべてに優先されたのです。
ただ、そんな中でも唯一、私の背中を押してくれたのは、**「30年間のお客様との関係性」**でした。
ありがたいことに、長年のお客様の多くは、昼に来てくださる方々。
夜の営業を縮小しても、関係が大きく崩れることはないかもしれない——
そう思えたことが、心の支えになりました。
準備はなかった。
でも、積み上げてきた時間と信頼だけは、確かにあった。
だから私は、リスクではなく**“信じること”を選んだ**のだと思います。
それが結果的に、「やめる決断」を前向きな一歩にしてくれました。
常連さんが昼に来てくれることが、希望になった
夜営業をやめた翌週のランチタイム。
看板をオープンにした瞬間、見慣れた笑顔がふたつ、三つと続けてドアを入って来ました。
「昼来ました。」
そう言って席に着く常連さんたちを見たとき、胸の奥にほっと暖かい灯がともったのを覚えています。
30年の間に交わした「ごちそうさま、また夜来るね」という何気ない言葉。
その裏には、私が想像していた以上の信頼と愛着が育っていたのだと気づかされました。
夜にしか来られないお客様を失う寂しさは確かにある。
けれど、昼でも足を運び、変わらず「美味しかったよ」と笑ってくれる人たちがいる。
その事実は、私の“やめる決断”が間違いではなかったと力強く証明してくれました。
昼の光が差し込む店内で、一杯のコーヒーを片手に交わした「変わらないね」という言葉。
それは、「形を変えても、店は続いていける」という確かな希望でした。
妻は「仕事仲間」であり「人生の理解者」でもあった
「やめるかもしれない」と、初めて口にしたのは妻に対してでした。
私にとって彼女は、ただの家族ではなく、30年一緒に店を支えてくれた“戦友”のような存在です。
仕入れ、仕込み、接客、片付け――
営業中は言葉を交わさなくても、目線ひとつでお互いの意図が伝わるほどに、長い時間を共にしてきました。
だからこそ、自分の中の迷いや弱さを、彼女に伝えることには勇気が必要でした。
それでも、話したときの妻の反応は、思っていたよりずっと静かで、あたたかいものでした。
「そろそろ自分のことも考えてもいいんじゃない?」
その言葉に、思わず目頭が熱くなりました。
妻は仕事仲間であり、誰よりも私の働き方を近くで見てきた人です。
そして同時に、「仕事以外の私」を知っている、数少ない理解者でもあります。
忙しさのなかで不機嫌になる私、疲れて言葉少なくなる私、でも根っこには変わらない想いがあることを、言葉にしなくても理解してくれている。
夜の営業をやめる決断ができたのは、そんな彼女の存在があったからに他なりません。
一緒に乗り越えてきた時間があるからこそ、これからの人生もまた、**「一緒に築いていける」**という確信があります。
迷いの多い決断でしたが、彼女がそばにいてくれたことは、何よりも大きな支えでした。
「最良の決断にする」と自分に誓った日
夜の営業をやめると正式に決めた日、店のカウンターにひとり立ち尽くしながら、私は静かに心の中でつぶやきました。
**「これを、最良の決断にする」**と。
決断というのは、下すことよりもそのあとをどう生きるかで価値が決まるものだと、私は思っています。
不安がなかったわけではありません。
お客様の反応はどうだろう。売上は?生活は?——
でも、それ以上に心に残っていたのは、**「これで家族と過ごす時間が持てる」「体を壊さずに店を続けていける」**という希望でした。
そして、この選択を「良かった」と思えるようにするのは、誰でもない、自分自身の覚悟と行動次第です。
夜営業をやめたからこそ得られた時間、心の余白、それらをどう使うか。
それによって、この決断が“ただのやめただけの話”になるのか、“次につながる物語”になるのかが決まる。
私は後者を選びたいと思いました。
そして、これまでお世話になったお客様や支えてくれた家族に、
「夜の営業をやめてよかったね」と言ってもらえるような未来を、自分の手でつくりたいと心から思ったのです。
やめたことを悔やむ人生ではなく、「やめてよかった」と笑える人生に。
その第一歩を、私はようやく踏み出せたのだと思います。
やめて見えた、光と静けさと、次の道

夜の営業をやめたたあとに訪れたのは、空虚さでも後悔でもありませんでした。
むしろそこには、思っていた以上に穏やかで、あたたかな時間が流れていました。
夕方の明るさ、家族との食卓、静かな夜のひととき――
それは、忙しさの中でいつの間にか見えなくなっていた“日常の光”でした。
やめたからこそ気づけたこと、そして少しずつ見えてきた“次の道”についてお話しします。
昼の明るさに気づいたときの不思議な解放感
夜の営業をやめた最初の数日、私はどこかソワソワしながら帰路についていました。
「まだ仕込みしてる時間だな」「あの時間帯は忙しいはずだ」
そんなふうに、頭の中は今まで通り“お店の時間”で動いていたのです。
ところがある日、夕方の早い時間に店を出て、何気なく空を見上げたとき、ふいに思いました。
**「こんなに明るかったのか」**と。
陽が残る時間帯に帰ることなど、これまでほとんどなかった私にとって、
その光景はまるで“違う世界に足を踏み入れた”かのような感覚でした。
まだ空が青く、子どもたちが自転車に乗って歩道を走る、車を運転する人たちの顔がよく見える。
そんな当たり前の風景が、なぜかとても新鮮で、胸にじんわりと沁みてきたのです。
そして同時に、これまでの自分が、どれほど閉ざされた時間の中で生きてきたのかを思い知らされました。
厨房の中で汗をかきながら、照明に照らされるばかりの日々。
季節や時間の移ろいを、どれだけ見過ごしてきたんだろうと。
不思議なことに、その日は、背中が少し軽く感じました。
それは、夜の営業をやめたことによる後ろめたさや空虚さではなく、
“閉じていた感覚がひらいていく”ような、小さな解放感だったのです。
やめて初めて気づくものがある。
それは決して「失うこと」ではなく、「取り戻すこと」なのだと知りました。
家族と食卓を囲む喜び、「おやすみ」が言える夜
夜営業をやめて最も変わったのは、家族と同じ時間に夕飯を食べられることでした。
これまで私は、出来立ての料理をお客様に出しながら、自分は食事もとらず夜の営業。
けれど今は、保育園帰りの子どもが元気いっぱいに「いただきます!」と手を合わせる横で、私も箸を取る。
それだけで、胸の奥に温かい火が灯るようでした。
夕飯中は、子どもがその日あった出来事を矢継ぎ早に話します。
「今日はブロックでロボット作ったんだよ」「せんせいにほめられたよ!」
忙しさの中で聞き流していた小さな報告が、こんなにも輝いているとは思いもしませんでした。
妻も、仕事や家事の合間に感じたことを穏やかな表情で話してくれる。
“お店のこと以外”の会話が、こんなに満ち足りた時間をつくるのだと改めて知りました。
食後には、子どもと一緒にテレビを見たり、絵本を読んだり。
時計を気にせず「あと五分だけ」と笑いながら過ごすうちに、いつの間にか寝る時間に。
布団を整え、「おやすみ」と声をかける。
暗い店内でひとり片付けていた頃には考えられなかった、当たり前のはずのひと言です。
小さな寝息を聞きながら部屋を出るとき、私は心の底から思いました。
――やめたことで得たものは、数字には表れない“かけがえのない時間”だと。
この夜の静けさこそ、私が「続けるためにやめる」と決めた答えそのものなのかもしれません。
次のステップを考えられるようになった頭と心
夜の営業をやめてしばらく経った頃、ふと気づいた変化がありました。
それは、「次に何をしようか」と自然に考えられるようになっていたことです。
以前は、目の前の仕事をこなすことで精一杯で、未来のことを考える余裕などありませんでした。
店の仕込み、営業、片付け、翌日の準備――その繰り返しの中で、頭の中は常に「今日をどう乗り切るか」でいっぱい。
正直なところ、“将来”という言葉が重たく感じられるほど、心にも隙間がなかったのだと思います。
けれど、夜に一息つける時間ができて、家族との会話が増え、自分のペースで考える“静かな時間”が持てるようになったとき、
これまで見えなかった景色が少しずつ浮かび上がってきました。
「もっと人のためになることがしたい」
「これまでの経験を、誰かの役に立てられないだろうか」
「体力を使わなくてもできること、自分らしい仕事は?」
そんな問いが、自分の中から自然と湧き上がってきたのです。
それは決して“焦り”や“不安”からではなく、むしろ**“希望”や“前向きな探究心”**に近いものでした。
心に余白ができると、人は前に進めるのかもしれません。
自分を整える時間を持つことは、未来を描く力を取り戻すことでもあるのだと、今ははっきり感じています。
そして私は、今ようやくスタートラインに立てた気がしています。
「ここからもう一度、築いていこう」と思えるようになったのです。
忙しそうな他店を見て湧いた“嫉妬”という感情
夜の営業をやめてからも、家族で外に食事に行くことがあります。
以前なら店に立っていた時間、今は少し余裕を持って外に出られるようになったからです。
ある夜、立ち寄った飲食店でのこと。
明るく活気に満ちた厨房、テーブルを行き交う店員、笑顔で食事を楽しむお客様たち。
その光景を目にした瞬間、心の奥から**“ある感情”**がふっと湧き上がりました。
――それは、**「嫉妬」**でした。
正直、戸惑いました。
「自分は自分の道を選んだんだ」と思っていたはずなのに、
他店の賑わいを見ていると、
「自分も、もう少し頑張れたんじゃないか」
**「まだやれたのではないか」**と、どこかで思ってしまう自分がいたのです。
でもその感情に気づけたことで、ようやく受け入れられるようになりました。
“やめたことで手放したもの”への寂しさや、惜しさ。
それは、決して失敗でも逃げでもない。
「懸命に向き合ってきたからこそ、今もまだ大切に思っている証拠」なんだと。
そして、もうひとつ思いました。
「忙しそうに見える=幸せ」とは限らないということ。
かつての自分もそうでした。外からは活気ある店に見えても、
内側では体力の限界と不安を抱えて必死に立ち続けていたのです。
だから今、私はこう思います。
あの嫉妬は、**「もう一度輝きたい」**という自分の本音かもしれない。
でもその輝き方は、過去と同じである必要はない。
これからは、自分のペースで、自分らしい形で光る方法を探していけばいい。
そう思えるようになったこと自体が、すでに一歩前に進めている証かもしれません。
自分と、大切な人のために生きる決意
夜の営業をやめてしばらく経った今、ようやく静かに、けれど確かな想いが心に宿るようになりました。
それは、**「これからは、自分と、大切な人のために生きていこう」**という決意です。
これまで私は、どこか「誰かのため」に自分を削ってきたように思います。
お客様の笑顔のため、スタッフの生活のため、店の未来のため――
もちろん、それらが私にとっての誇りであり、やりがいでもありました。
でもその一方で、**“自分の心や体を置き去りにしていた”**のも事実です。
今、こうして家族と夕飯を囲み、子どもに「おやすみ」と声をかけることができる日々。
そんな日常がどれだけ尊いものだったのか、失いかけてようやく気づきました。
「やめる」という選択は、誰かにとっては後退に見えるかもしれません。
でも私にとっては、人生の軸を“外”から“内”へと戻す、大切な一歩でした。
自分を大切にすること。
そして、自分の大切な人と、穏やかに笑い合える時間を守ること。
それが、これからの私の働き方であり、生き方です。
そして今だからこそ、心から思います。
「まだまだ、できることはたくさんある」と。
経験を活かし、無理なく、でも誰かの力になれる方法を探していく。
それが、第二の人生のテーマになりそうです。
忙しさに飲み込まれた日々を乗り越えてたどり着いたこの場所で、
私はようやく、自分らしい人生を生きる覚悟ができました。
周囲の声、心の葛藤、そして“納得”への道筋

どんな決断にも、周囲の声はついてくるものです。
「それで本当に大丈夫?」「もったいないよ」「ゆっくりしていい時期だよ」
応援のようでいて、時に迷いを生むその声たちに、私は何度も揺れました。
けれど最終的に大切だったのは、“誰が何と言ったか”ではなく、
自分自身がその決断をどう受け止めるかということでした。
ここでは、私がどうやって外の声と向き合い、
心の中の葛藤に折り合いをつけていったのか、
そしてようやくたどり着いた「納得」までの道のりを、正直に綴ってみたいと思います。
家族の理解と、友人のいない孤独の中での決断
決断を下すとき、私には相談できる「友人」と呼べる存在がほとんどいませんでした。
飲食業を長年続けるうちに、付き合いは同業者かお客様が中心となり、プライベートの交友関係は自然と細くなっていたのです。
だからこそ、家族の理解がなければ、この決断は到底できなかったでしょう。
妻は長年の仕事仲間であり、私を誰よりも近くで見守ってきた理解者です。
夜営業をやめるかもしれないと告げたときも、反対より先に「あなたが壊れてしまったら元も子もない」と言ってくれました。
そのひと言は、私にとって何よりの救いでした。
しかし、家族が賛成してくれても「周囲に頼れる友人がいない」という事実が、時折胸を締め付けました。
孤独でした。
決断の瞬間、誰かに背中を押してもらうことも、愚痴をこぼす場もない。
結局、最後に向き合うのは「自分自身だけ」という現実を突き付けられたのです。
だからこそ私は、自分に問い続けました。
「本当に後悔しないか」「家族のためになるか」「自分の人生をどう生きたいか」
答えを出せるまで考え抜くことで、孤独はやがて覚悟に変わりました。
結果として私は、家族と共に歩む道を選びました。
友人がいなくとも、妻と子どもの存在があったからこそ、**“自分で自分を支える”**力を見つけられたのだと思います。
「自由」も「裏切り」も、結局は自分の捉え方しだい
夜の営業をやめる決断を伝えたとき、人によってその受け取り方はさまざまでした。
「ようやく自分の時間が持てるね」「これからは新しいことにも挑戦できるじゃないですか」
そんなふうに、前向きに捉えてくれる声も多くありました。
一方で、どこか言葉の端々に戸惑いや寂しさを感じることもありました。
「もう夜はやらないの?」「ずっと守ってきたのに、もったいないね」
それらは責めではなく“惜しみ”のような気持ちだったと思いますが、
その言葉に、**自分が何かを“裏切ったような気持ち”**になることも、正直ありました。
けれど、あるときふと気づいたのです。
自由に生きることと、誰かの期待に応え続けることは、ときに相反するものだと。
そして、どちらを選んでも、解釈は「相手の視点」によってまるで変わるということ。
私が「やめる」という選択をして得たのは、たしかに“自由”です。
けれど、同時に「これまでの自分を裏切ったのではないか」という罪悪感に襲われたのも事実。
ただ、それもすべて**“自分自身の捉え方”**に過ぎないのだと気づきました。
大切なのは、どう思われるかではなく、自分がどう在りたいか。
私は、自分と家族の心身を大切にするという選択をしました。
その選択を、誰よりもまず自分が肯定しなければ、前に進めないのだと思います。
「裏切り」か「自立」か、「放棄」か「前進」か――
答えは、いつも自分の中にある視点で変わるもの。
だから私は今日も、自分に問いながら、静かに進んでいます。
夜の常連さんがランチに来てくれた、心があたたまる瞬間
夜の営業をやめたあと、何より心配だったのが、夜しか来られなかった常連のお客様との関係がどうなるかということでした。
「突然やめてしまって申し訳ない」「ご挨拶もできていない方もいる」
そんな思いを抱えながら迎えたあるランチタイムのことです。
オープンしてしばらくすると、見覚えのある笑顔がふらりと店に入ってきました。
長年、夜にだけ通ってくださっていたお客様。
驚きとともに、心がじんわりと温かくなるのを感じました。
「昼来ました!」
そう言いながら席につき、いつものようにオムライス大盛とチキンステーキを注文してくださったその姿に、思わず胸がいっぱいになりました。
「夜がダメでも、昼に来る。ここにまた来たいと思ってくれる」
その想いが、何よりもうれしかったのです。
ランチの後、いつものように「ごちそうさまでした」と一言残し深々と頭を下げて帰っていかれた背中に、私は何度も心の中で頭を下げました。
「ありがとうございます」「まだこの店に通いたいと思ってくれて、ありがとうございます」と。
この出来事は、私にとってひとつの答えでした。
営業スタイルが変わっても、想いがつながっていれば、関係は続けられる。
そしてそれは、「やめたからこそ見えるつながり」でもあったのです。
常連さんの足取りに、やさしく支えられたこの瞬間。
私は、やめること=すべてを失うことではないと、はっきりと実感しました。
「応援してくれる人」の言葉には“質”がある
何かをやめたり、新しいことを始めようとするとき、いろんな声が聞こえてきます。
「こうした方がいいよ」「ああすればうまくいくよ」
中には親切のつもりで言ってくれているのだろうと思いながらも、
どこか一方的に“型”を押しつけられているような感覚になることもあります。
そんなとき、私は気づきました。
**「応援のように聞こえる言葉にも、実は“質”がある」**ということに。
ただアドバイスを並べるのではなく、
「どうしたい?」「何を大切にしたい?」と、まず私の気持ちを聞いてくれる人。
そして、私が描いた未来に向かって、
**「それなら、こうすると実現しやすいかもしれないよ」**と寄り添ってくれる人。
そういう人の言葉には、責める気配がまったくありません。
応援とは、「自分の価値観を押しつけること」ではなく、
「相手の選んだ道を一緒に考えてくれる姿勢」なのだと、今は思います。
夜営業をやめいたと伝えたとき、
「それでいいと思うよ」「店長らしい判断ですね」
と笑ってくれた常連さんやスタッフの言葉には、
この“質のよい応援”が込められていたように思います。
だから私は今、“誰の声を受け取るか”を丁寧に選びながら、次の道を歩んでいます。
励ましの言葉は多くなくてもいい。
たったひと言でも、自分の人生にしっかり寄り添ってくれる声があれば、
それは何よりの支えになります。
:「考えに考える」ことで、迷いは“自信”に変わった
夜の営業をやめるかどうか。
それは私にとって簡単に決められることではありませんでした。
なぜなら、その選択はお客様、スタッフ、家族、そして自分自身の人生にまで影響するものだったからです。
だから私は、とことん考えました。
誰にどう思われるか。
お客様はがっかりしないだろうか。
スタッフは安心してくれるだろうか。
家族は納得してくれるだろうか。
この先、自分は後悔しないだろうか――
一つひとつの不安や想定される声に対して、心の中で何度も“返答”を用意しました。
「こう言われたら、こう考えよう」「この視点で見れば大丈夫だ」
そうして自分なりに“納得できるだけの答え”を出していくうちに、
不思議と、あれほど重たかった迷いが、少しずつ軽くなっていったのです。
私は「考えすぎる性格」だと、昔から言われてきました。
でも今は思います。
「考え抜いたからこそ、自分の決断に自信が持てる」のだと。
勢いではなく、逃げでもなく、
「納得して選んだ」ことが、自分を支える力になる。
この実感は、今も私の毎日の原動力になっています。
だからこそ今、同じように迷っている人に伝えたいのです。
答えがすぐに出なくてもいい。
何度も立ち止まり、考えて、悩んで、その先に出した答えは、
きっとあなたの力になる。
私自身が、それを証明しながら、これからの人生を歩いていきたいと思っています。
再スタート。経験はすべて“これから”に活かすためにある

飲食店を30年、介護施設を3年、自家焙煎のコーヒー、そして今度は花屋へ。
これまでの人生を振り返ると、遠回りや失敗もたくさんありました。
でも今、ようやくわかってきたのです。
それらすべての経験は、“これからのためにあった”のだと。
体力的には昔のように動けないかもしれない。
でも、積み重ねてきた時間、出会った人、苦労の中で身についた感覚や気づきは、
きっと誰かの役に立つ「財産」になってくれるはずです。
ここからの人生を、もっと軽やかに、自分らしく、そして誰かの力になるように。
そんな想いで、私は新しい一歩を踏み出しました。
花屋「アイフローラ」との出会い、そして新たな挑戦
「アイフローラ」という名前は、実は私がつけたものではありません。
30年以上、私の店「ペニーレイン」の隣で営業されていた、地域に根ざした花屋さんの名前です。
地元の人々に親しまれ、誕生日や記念日、お墓参りの花を買いに、ふらりと立ち寄る方が絶えない場所でした。
その店が事情により閉店することになり、私は正直とても驚き、そして…どこか寂しさを感じました。
「いつもそこにあったものが、なくなる」
それが、思っていた以上に心にぽっかりと穴をあけたのです。
初めは、私がその場を引き継ぐことになるなんて、まったく考えていませんでした。
飲食とはまったく違う業種。経験も知識もない。
でもある日ふと、こう思ったのです。
**「この場所で、花を絶やしたくない」**と。
「花があることで救われた」「癒された」
そんな声を、私はこれまでにも何度も聞いてきました。
飲食店や介護施設を通じて、人の心に寄り添う場をつくってきた経験が、
今度は「花」を通して活かせるかもしれない。
私は「アイフローラ」という名をそのままに、
新たな挑戦を始めることになりました。
もちろん不安はあります。
未知の分野に踏み込む怖さもあります。
でも、やってみなければ分からないこともたくさんある。
なにより今の私は、**「無理をしない、自分らしいペースで続けられる挑戦」**を求めていたのだと思います。
アイフローラを通して、
花のある暮らしを届けること。
地域の人々とのご縁をつなぎなおすこと。
そして、自分自身のこれからの人生をやさしく整えていくこと。
それが、私にとっての新たな挑戦なのです。
これまでのすべての仕事が“誰かを助ける力”になる
飲食店を30年、介護施設を3年、焙煎コーヒー、メルカリやeBayでの物販、そしてこれから始まる花屋。
ひとつひとつはバラバラに見えるかもしれません。
けれど私の中では、それぞれの経験がしっかりと一本の線でつながっている感覚があります。
たとえば飲食店では、人の「おいしい」の笑顔を引き出す仕事でした。
介護施設では、相手の立場に立ち、安心できる空間をつくる仕事。
焙煎コーヒーは、心を落ち着けるひとときを提供すること。
そして今度は、花を通して癒しや気づき、節目の感情に寄り添う仕事です。
どの仕事も、「何かを売る」だけでなく、
その人の生活や心にそっと寄り添うという共通点があると気づきました。
今、私はこう思っています。
これまで自分が経験してきたことは、全部、これから誰かの役に立つための準備期間だったのかもしれないと。
50代になって気づいたことがあります。
それは、“お金を稼ぐこと”だけが仕事の価値ではないということ。
むしろ、「こんなことで助かりました」「これ、ありがたいです」という言葉をもらったときにこそ、
仕事をしていて一番うれしい瞬間がある。
だから私は、これからも挑戦を続けます。
派手なことはできないかもしれません。
でも、これまでの仕事で得たものすべてを、
**少しでも誰かの支えになる形に変えていけたら、それが私にとっての“これから”の働き方”**だと思っています。
「小さくていい」私のこれからの目標3つ
夜の営業をやめてから、私は「大きなことを成し遂げたい」という気持ちよりも、
**「自分らしく、無理なく続けられることを積み重ねたい」**という思いが強くなりました。
それは、以前のように体力に任せて突っ走ることが難しくなったからかもしれません。
でも同時に、歳を重ねて見えてきたのです。
**“小さな挑戦こそが、人生を豊かにしてくれる”**ということに。
今の私には、3つの目標があります。
どれも小さくて、地味かもしれません。
けれど、自分の手のひらで大切に育てていきたいと本気で思っていることです。
① 花屋「アイフローラ」の復活と繁栄
引き継ぐだけでなく、今の時代に合わせた新しいスタイルの花屋として育てたいと思っています。
無理のない営業時間、気軽に立ち寄れる空間、そして贈る人も受け取る人も笑顔になるような提案を。
花屋という形を通じて、人と人の心がつながる場所をつくっていきたいのです。
② ペニーレインの再構築――「無理なく続けられる飲食店」へ
これまでの営業スタイルを見直し、体に負担をかけず、でもお客様に喜んでいただけるような方法を模索しています。
夜営業をやめたからこそ生まれた昼の時間、ひとりでも多くのお客様と心の通う時間を重ねていきたいと思っています。
③ 小さなスペースでできる、“人を幸せにする店”の提案
これまでの経験をもとに、小さくて、始めやすくて、心が温かくなるような店づくりを考えています。
花屋×カフェ、コーヒー×雑貨、ペット×癒し――
資金や人手がなくても、アイデアと想いがあればできるはず。
そんな「身の丈サイズの起業」を、将来的には誰かに伝えていけたらと考えています。
大きな目標じゃなくていい。
背伸びしなくても、きちんと根を張っていける場所があれば、人生はきっと豊かになる。
これからの目標は、そんな“静かな情熱”の延長線上にあります。
55歳、あなたにも贈りたい言葉「そろそろごほうびを」
気がつけば、55歳。
思えばこれまで、本当によく働いてきました。
誰かのために、家族のために、職場のために、
そして「こうあるべき」という責任感に押されながら、
自分自身のことはいつも後回しにしてきたという方も多いのではないでしょうか。
私自身もそうでした。
がむしゃらに30年間、飲食の世界を走り続け、
休むことに罪悪感を抱き、
体の不調さえも「気のせいだ」と押し込めてきました。
でも今、ようやく思うのです。
「ここまでやってきた自分に、“ごほうび”をあげてもいいんじゃないか」と。
ごほうびといっても、大げさなものでなくていいんです。
少しゆっくり寝る時間、
家族と食卓を囲む時間、
ふらっと散歩する余裕、
やりたかったことを始めてみる勇気。
それは、若いころには見過ごしていたような“静かな喜び”かもしれません。
でも、人生の後半にこそ、それらが心の深いところを満たしてくれることがある。
そんなことを、私自身がようやく実感し始めています。
だからこの記事の最後に、同じように頑張ってきたあなたへ、
ひとつだけ伝えたい言葉があります。
「そろそろ、ごほうびをあげませんか?」
自分をねぎらい、これからの人生を心地よく整える。
それは怠けることではなく、
**「これからを生き抜くための、大切な準備」**だと思うのです。
私も今、その準備を始めたばかりです。
よければ一緒に、新しい一歩を踏み出してみませんか。
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