自分の人生に“第二章”ってあるのか?と思っていた頃

50代を迎えたある日、ふと頭をよぎった言葉がありました。
「自分の人生に“第二章”なんて、あるのだろうか?」

飲食店を30年続けてきた私にとって、仕事は人生そのものでした。
しかし、少しずつ身体の悲鳴が聞こえはじめ、心の奥では“今のままでいいのか”という迷いが膨らんでいました。

それでも、すぐに何かを始められるほど軽やかではない。
ただ、少しずつ「やめる選択」や「変わる勇気」を受け入れていく中で、心に風が通るような瞬間が生まれました。

これは、人生の折り返し地点で立ち止まり、“第二章”への入り口を見つけようとした私の記録

  1. 50代の身体と心に起きた“微かな違和感”
    1. 朝の目覚めが重くなった最初のサイン
    2. 朝の目覚めが重くなった最初のサイン
    3. 「楽しい」が「気が重い」に変わった瞬間
    4. 妻に言われた「最近イライラしてない?」
    5. 客席の笑顔が遠く見えた夜
    6. 手首の痛みが“やめ時”を囁いた
  2. 「このままでいいのか?」と問い始めた日々の中で
    1. 深夜ラジオで聞いた“転身談”が蒔いた小さな種
    2. 朝の散歩で交わした「退職後の夢」が羨ましかった
    3. 子どもの「今日お客さんいっぱい来た?」に詰まった本音
    4. 30年間続いているお客様ノートが背中を押した「ありがとう」
    5. ちょびと草花が教えてくれた“じっと同じ場所で咲く力”
  3. 「自分を生きたい」という想いと、“いい父”でいたい自分とのあいだで
    1. 一人になりたい休日、でも「いい父」でありたい葛藤
    2. 飲食店は「自分そのもの」ではないと気づいた瞬間
    3. 身体より先に、心が先に悲鳴を上げるとき
    4. 支援金終了後、現実が突きつけてきたもの
    5.  「世間体」より、自分の素直な気持ちに従う
  4. 花屋という“新しい場所”が、私を変えていった
    1. “隣の花屋さん”が、“自分の花屋”に変わった瞬間
    2. まだ誰にも言えない準備が生む、静かなプレッシャー
    3.  「花屋という仕事」は、私にとって“まったくの異業種”ではなかった
    4. “新しい手法”を織り交ぜながら、花屋を再設計する
    5. “年齢”ではなく“経験”が導いてくれる
  5. 「これからの10年」は、自分を“緩める”ための時間にしたい
    1. “第二章”はもう始まっていた――そのきっかけを思い出す
    2. “今日もいっぱい来てくれたよ”と答えるけれど
    3. “おいしかったよ”が、申し訳なく感じてしまうとき
    4. ちょびと草花が教えてくれた“あるがまま”の強さ
    5. “潔く、じっとその場で”――見習いたい生き方

50代の身体と心に起きた“微かな違和感”

50代に入った頃、まず変化を告げたのは「身体」でした。
足首からふくらはぎ、かかとへと広がる重だるさ。
それは、一日じゅう立ち続ける飲食店の仕事が、少しずつ身体の限界を教えてくれるサインでした。
やがて心にも同じ波が伝わり、楽しさより義務感が勝つ瞬間が増えていく——。
以下では、その“最初の違和感”がどのように芽生え、私をどこへ導いたのかを辿っていきます。

朝の目覚めが重くなった最初のサイン

5〜6年前。
目覚めと同時に感じたのは背中でも腰でもなく、「足」の重さだった。
足首からふくらはぎ、かかとにかけてじわりと広がる痛み——立ち上がる前から、もう座りたくなるほどだ。
弾性ストッキングを試したら驚くほど楽になったが、同時に悟った。
「道具で補わないと立ち続けられない自分」が、すでにそこまで来ていることを。

朝の目覚めが重くなった最初のサイン

5〜6年前。
目覚めと同時に感じたのは背中でも腰でもなく、「足」の重さだった。
足首からふくらはぎ、かかとにかけてじわりと広がる痛み——立ち上がる前から、もう座りたくなるほどだ。
弾性ストッキングを試したら驚くほど楽になったが、同時に悟った。
「道具で補わないと立ち続けられない自分」が、すでにそこまで来ていることを。

「楽しい」が「気が重い」に変わった瞬間

オープン前、ランチのラストオーダー間際、閉店間際——。
どの時間帯でもお客様が来店すれば嬉しいはずなのに、心のどこかで**「もう終わりにしたい」**と願う自分がいた。
楽しいはずの接客が「仕方ないから頑張る」作業へ。
その変化に気づいたとき、楽しさの源は体力と余裕だったことを痛感した。

妻に言われた「最近イライラしてない?」

身体の疲れは、やがて顔色にも言葉にも出る。
「顔色悪いよ」「怒りっぽくなったね」と妻が心配そうに言う。
仕事に追われて風呂に入る時間すら削り、睡眠も浅い。
自分では平常運転のつもりでも、家族は変化に正直だった
そこで初めて“身体と心は同じ線上にある”と気づかされた。

客席の笑顔が遠く見えた夜

ランチをなんとか乗り切り、夜の営業が始まる頃——
「今日もあとひと山か」と自分に言い聞かせる。
それでもホールの向こうに並ぶ笑顔が、少し遠く感じた。
視界が狭まる感覚。
お客様の喜びを心で受け止める余裕が、足の痛みとともに削られていた。

手首の痛みが“やめ時”を囁いた

医師からは「雑巾を絞るような動きは避けて」と忠告された。
だが厨房でそんなわけにもいかず、痛む手首をかばいながらフライパンを振り続けた。
ピーク時にはメニューを変更し、負担の少ない料理だけを提供したこともある。
そのとき胸に浮かんだのは、**「料理を変えるくらいなら、働き方を変えるべきでは?」**という小さな声。
痛みは、決断を急かす“静かなアラーム”だった。

「このままでいいのか?」と問い始めた日々の中で

体の不調が続き、笑顔をつくるのも苦しくなってきた頃。
ふとした瞬間に、これまで見過ごしていた問いが浮かぶようになりました。

「このまま同じ日々を続けて、私はどこへ向かうのだろう?」
「本当に“やりたいこと”を、私はまだ見つけていないんじゃないか?」

移動中に聞いた誰かの言葉、テレビから流れた何気ないフレーズ。
そんな一言が、自分の中に眠っていた“第二章”の存在を教えてくれました。

今回は、そうした小さなきっかけの積み重ねと、自分自身と向き合い始めた時間について綴ります。

深夜ラジオで聞いた“転身談”が蒔いた小さな種

閉店後の仕入れのため車内で聞いてた深夜ラジオ。
ゲストは、かつて大手企業に勤め、50代で地方へ移住し小さなカフェを始めた男性だった。
「生活の豊かさより心の豊かさを求めて」――その一言が、耳にひっかかった。
疲れ切った体でフライパンを洗いながらも、心だけは不思議と温かく、
「みんなこの壁にぶつかるのか。ならば、自分にも次の道があるはずだ」
そう思えた瞬間、私の中に“第二章”の種がそっとまかれた。

朝の散歩で交わした「退職後の夢」が羨ましかった

朝、ちょびと散歩に出た道、お隣さんと挨拶を交わした。
「定年後は保育園の送迎バスの仕事をしたいんです」
迷いなくそう語る姿に、胸がチクリと痛んだ。
「これがしたい」と言えるものが、自分にはあるだろうか?
足首の痛みをかばいながら歩く自分と、未来を軽やかに描くその人――
同じ朝の光の中で、その対比がやけに鮮やかだった。

子どもの「今日お客さんいっぱい来た?」に詰まった本音

夕飯を囲むとき、子どもが無邪気に尋ねた。
「今日お客さんいっぱい来た?」
「うん、いっぱい来てくれたよ」と笑って答えながら、心の奥ではうまく言葉が続かなかった。
料理の完成度でもサービスの質でもなく、“自分自身の出来”に満足できない。
もっと上手くできるはずの自分を知っているからこそ、胸の中に生まれる小さな“負け”の感覚。
その違和感が、次の一歩をうながすかのように、静かに動き始めた。

30年間続いているお客様ノートが背中を押した「ありがとう」

閉店後、お客様ノートをめくった。
ページの隅に書かれた「おいしかった!」の文字。
いつもはありがたい客様からのお言葉と受け止めていたが、この夜は少し違った。
「今の自分は、その“ありがとう”に応えられているだろうか?」
完璧ではない仕事ぶりでもおいしいと言ってくれる言葉が、むしろ重く胸に響く。
同時に、誰かがくれた感謝が、これからの私を支える燃料にもなるのだと気づいた。

ちょびと草花が教えてくれた“じっと同じ場所で咲く力”

ちょびの散歩コースに咲くシロツメクサ。
人に踏まれても、そのままじっと耐え、やがて再び花を咲かせる。
ちょびも、病を得ても悪あがきせず、静かに最期を迎えた。
「変えられないことを受け入れながら、もう一度芽を出す」
草花と愛犬の姿は、私に“潔さ”と“再生”のヒントを残してくれた。
――人間だけが、環境や年齢を言い訳にして足踏みするのかもしれない。
そう思えたとき、“第二章”が静かに輪郭を帯びはじめた。

「自分を生きたい」という想いと、“いい父”でいたい自分とのあいだで

週に一度の休日。
本当は一人でのんびりしたい――そんな小さな願いを胸にしながらも、気づけば家族の笑顔を優先している自分がいた。

「いい父でいたい」と願う反面、「ただの“私自身”でいる時間がほしい」と感じることも増えていった。
心も体もギリギリの状態で仕事を続けるなかで、自分にとっての「本当の幸せ」とは何かを、少しずつ問い直すようになったのです。

この章では、“父としての私”と“自分自身の人生を生きたい私”とのあいだで揺れ動いた心の記録を綴っていきます。

一人になりたい休日、でも「いい父」でありたい葛藤

週に一度の定休日。
「今日はゆっくりしたいな」と思っていたはずなのに、気づけば朝から家族でお出かけ。
動物園、買い物、公園、お昼の外食。
笑顔で「パパ、こっち!」と手を引いてくれるわが子の姿に、心はあたたかいのに、
「“自分の時間”は今度にしよう」と、感じている自分も確かにいた。
「第1週くらいは一人でのんびりして、第4週くらいまでは“いい父”でいよう」
そんな計画も、気がつけば全部“いい父”で終わってしまう。
嬉しいけれど、少しだけ自分の時間を・・・と考えてしまう。

飲食店は「自分そのもの」ではないと気づいた瞬間

長年、「自分=飲食店の人間」だと思っていた。
でもある日、ふと「それだけじゃないよな」と感じた瞬間があった。
人前ではまだ口にできないが、本当は“まだ他にもできることがある”と信じていた自分がいた。
もしそれが“第二章”なのだとしたら――。
これまで積み重ねてきたことも、そこへつなげていける気がしていた。

身体より先に、心が先に悲鳴を上げるとき

厨房で仕事をしていて、足の痛みを感じる前に来るのが「気が張りつめすぎている」感覚。
集中してるというより、“とがってる”状態。
お客様に笑顔で接していても、自分の内側はギリギリ。
「こんな状態で続けていいのか?」と、自分で自分に問い続ける。
体力の限界が見えてきた今、心のコンディションを守ることの大切さにもようやく気づいてきた。

支援金終了後、現実が突きつけてきたもの

コロナ禍で受けていた協力金が終了し、日々の売上が経営を左右する現実が戻ってきた。
あの時期、客足が途絶えた経験は飲食業界全体の価値観を揺るがした。
うちも例外ではなく、売上が元に戻ることはなかった。
「これからどうする?」
この問いに真正面から向き合わなければならない時期が来た。
守りたいものと、変えなければいけないこと。
決断の材料がそろい始めていた。

 「世間体」より、自分の素直な気持ちに従う

正直、「本当はもう終わりにしたい」と思った夜もある。
でも、お客様が来てくださる。
「せっかくだから、オーダーだけでも…」と、気がつけばまた一皿つくっていた。
世間体でも、プライドでもなく、“申し訳なさ”が理由だった。
でも、その積み重ねがまた心身を疲弊させていたことにようやく気づいた。
「人のために無理をしすぎることは、自分のためにも人のためにもならない」
ようやくその言葉を自分に向けられるようになった。

花屋という“新しい場所”が、私を変えていった

いつものように隣にある「花屋さん」が、ある日から急に違って見えた。
「もし、花屋さんを再開することが出来たら」
そんな構想が、最初はぼんやりとした想像だったのに、
気がつけば“やってみたい”という気持ちに変わっていた。

不安もある。周囲の期待にプレッシャーを感じることもある。
でも、それ以上に「新たな場所」に自分を置くことで、
心に風が通るようになった。

“アイフローラ”という新しい舞台との出会いが、
私にとっての「第二章」のはじまりを、静かに知らせてくれたのです。

“隣の花屋さん”が、“自分の花屋”に変わった瞬間

2024年2月15日――
ランチタイムの真っただ中、サイレンの音が店先に止まった。
救急隊員が向かった先は、隣の生花店「アイフローラ」。
店主は救急車で搬送され、そのまま二度と戻らなかった。
いつも季節の花を並べ、笑顔で「おはよう」と声を掛け合ったあの人が、突然この街から消えた。
それから半年、シャッターの降りた店の前を散歩で通るたび、胸に小さな空洞が広がっていった。

同年8月、遺族の方から一本の電話が入る。
「この場所を、あなたに使ってもらえませんか」――。
飲食店として再建できないかと考えましたが、高額な設備費に頭を抱えた。
厨房機器を運び込むには配管も排気も足りず、改装費は見積もりのたびに膨れ上がる。
結局、飲食店の夢は現実的ではないと悟る。

それでも、花屋の扉を開けるときに感じた空気は忘れられなかった。
香り、彩り、静かな水音。
「ここに花が戻らないままでは、街の景色が欠けたままになる」
そう思った瞬間、迷いは消えた。
自分がやるなら、形を変えてでも“アイフローラ”を息づかせたい。
飲食で培った接客や季節感を、今度は花に注げばいい。
不思議と、心の中で歯車が噛み合った。

こうして“隣の花屋さん”は、“私の花屋”へと姿を変えた。
失われた灯を繋ぎ直すこの挑戦が、私にとっての第二章の幕開けになった。

まだ誰にも言えない準備が生む、静かなプレッシャー

アイフローラを受け継ぐ話は、いまのところ私と遺族、そして家族だけの秘密だ。
店のシャッターは依然として閉じたまま。通りを歩く人たちは、あの日のまま時間が止まった花屋をただ通り過ぎていく。
私は時々、アイフローラの鍵を開けてもらい中へ入り、間取り、水道の位置を確かめ、床の傷を数えた。
照明を点けるたび、「本当に自分がここを動かすのか」と鼓動が速くなる。

公表していない分、外からの期待はまだ届かない。
けれど、誰にも知られていない準備ほど、じわじわと重みを増すものはないと知った。
「もし形にならなかったら、ただ自分だけが失敗を抱えるのか」
「それなら最初から手をつけない方が賢明かもしれない」
そんな考えが頭をよぎる。

それでも、花の香りがほんのり残る空間に立つたび、
失われた灯をもう一度ともしたいという気持ちがかすかに揺らめく。
人知れず進める片付けや修繕は、未来の自分に手紙を書くような作業だ。
誰からも急かされていないのに、遅れてはいけない気がする――その矛盾こそが、私にとってのプレッシャーだった。

けれど考えてみれば、飲食店を始めた三十年前も誰も知らない場所からのスタートだった。
あの頃に比べれば、今の自分には経験も、人脈も、家族の理解もある。
「焦らなくていい。ただ静かに一歩ずつ」
誰もいない花屋で独り思うその言葉を、胸の真ん中に置き直しながら、
私は誰にも告げないまま、第二章の舞台装置を少しずつ組み立てていった。

 「花屋という仕事」は、私にとって“まったくの異業種”ではなかった

飲食業を30年も続けてきた人間が、突然花屋をやるなんて――
聞いた人はきっと、そう思うだろう。
確かに、花の名前も管理の仕方も、仕入れのルートも右も左も分からない。
花屋の仕事は、私にとって未知の世界だった。
でも、なぜかまったくの異業種とは思えなかった。
いや、むしろどこかで「つながっている」と感じていた。

飲食店で心がけてきたのは、「ただ食べてもらう」のではなく、
「その時間ごと、満たされてもらうこと」だった。
料理の温度、盛り付けの色合い、店内の音楽や照明、スタッフの笑顔――
そういった“空気”が整ってこそ、お客様はそのひとときを「いい時間だった」と記憶してくれる。

花も同じだ。
たった一本の花が、その空間や心に色を差し込む。
誰かの記念日、別れ、感謝、祈り――
目に見えない気持ちを、目に見える形にしてくれるのが、花の仕事だと思う。

そして、花屋の前に立ったとき、私が一番強く感じたのは、
「ここにも“人の想い”が集まる」という事実だった。
飲食と違うのは、静かさの中にその想いがあること。
でも、人の心に寄り添うという点では、根っこは同じなのかもしれない。

だから私は、この仕事に“挑戦する”というより、
これまでの延長線上に、自然と花が咲いたような気持ちでいる。
違う業種。でも、遠くない。
むしろ、自分の中で長く育っていた“感性”が、ようやく別の形で芽を出す時が来た――
そんな感覚が、今の私にはある。

“新しい手法”を織り交ぜながら、花屋を再設計する

かつての「アイフローラ」は、地域に根差したあたたかな花屋でした。
贈り物用の花束から、仏花、ちょっとした一輪挿しまで――
日常のなかにそっと寄り添うような、そんな存在だったと思います。

けれど、いま私が引き継ぐからには、「それまでの形+新しいもので」と決めました。
なぜなら、時代が変わったから。
人の暮らしも、花の求められ方も、以前とは確実に違う。

たとえば、店頭販売に加えて「オンライン注文」を導入する。
InstagramなどSNSで花の入荷情報やアレンジ例を投稿し、
それを見て来店してくださるお客様も増えるかもしれない。
花の自動販売機の導入だって、夢物語ではありません。

また、飲食店で30年間、お客様の好みに耳を傾けてきた経験があるからこそ、
「用途に合わせた提案」を丁寧にできると感じています。
言葉にしづらい“贈る気持ち”を、花でどう表すか。
そこには感性と経験が求められる――まさに、私が一番大切にしてきた部分です。

「昔ながらの良さ」と「これからのスタイル」をどう両立するか。
これは簡単な課題ではありません。
ですが私は、“復活させるため”ではなく、“進化させるため”にこの場所を引き継ごうとしています。

引き継いだ名前、想い、空間。
それらを大切にしながらも、今の時代に合ったやり方で、
新しい「アイフローラ」として再び地域に根を張っていく。

花は同じように咲いても、見る人の心は時代と共に変わっていく。
だからこそ、花屋もまた、変わりながら育っていくものだと信じています。

“年齢”ではなく“経験”が導いてくれる

55歳。
もしあと10年若かったら、もっと体力も気力もあっただろう。
正直に言えば、そう思うこともある。
ただ、年齢の数字に引っ張られすぎるのは、少し違うとも思う。

若さには可能性がある。
でも、年齢を重ねた人には“地図”がある。
何度も迷って、何度も戻って、何度も遠回りをしてきたからこそ、
今の私は「こっちの道は険しい」「この先に光がある」と感じられるようになった。

若い頃なら見過ごしていた花の美しさ、
昔なら忙しさのなかで聞き流していたお客様のひと言。
今はちゃんと、立ち止まって味わうことができる。
それは、経験がくれた“感度”だと思う。

だから、花屋という新しい挑戦も「もう遅い」ではなく、
「今だからこそできる」と思える。
若さで乗り切る力はないかもしれないけれど、
経験で寄り添える力なら、少しはある気がする。

それに、これから関わるお客様の中には、私と同じように
「次のステージ」を探している方もきっと多い。
そんな方に、「まだ間に合う」「新しいことは、いつ始めてもいい」
そう伝えられる存在でありたい。

年齢に不安を感じたときは、
これまで築いてきた道のりを、もう一度振り返ってみるといい。
そこには、誰にも真似できない自分だけの経験が、
きっと静かに灯りをともしてくれているから。

だから私は、自分の年齢を悲観しない。
この年齢だからこそ見える景色、この歳だから届けられる言葉を、
大切にして、これからも歩いていこうと思う。

「これからの10年」は、自分を“緩める”ための時間にしたい

これまでの30年は、走り続けてきた時間だった。
飲食店を立ち上げ、介護施設の運営にも挑戦した。
体は正直で、無理をすれば疲れが表に出る。
でも、そのひとつひとつが「誰かのために」だったと思えば、不思議と後悔はない。

ただ──
今、自分に問いかけるのは、「これからの10年、どう過ごしたいか?」ということ。
張りつめたままの毎日ではなく、少し肩の力を抜いて、自分に“ごほうび”をあげながら生きていく。
それが、今の私にとっての「第二章」の理想のかたちかもしれない。

“緩める”というのは、あきらめることではなく、
積み重ねてきたものを活かしながら、もっと自由に、しなやかに生きるということ。
今の私は、そう信じています。

“第二章”はもう始まっていた――そのきっかけを思い出す

「何かを始めよう」と強く思ったわけではなかった。
ただ、少しずつ “前みたいに動けない自分” に気づいていった。
ランチのピークが終わるころ、足が重くて、頭もぼんやりしてくる。
それでも夜までやり切ろうと気を張っていたが、正直、体力も集中力も保てなくなっていた。

そんなある日、テレビだったかSNSだったか――
あるオーナーさんの言葉が心に刺さった。
「生活の豊かさより、心の豊かさを選んだ」という話だった。
そのとき思った。**“そうか、そういう選択もしていいんだ”**と。

同時に、「もっと早く決断しておけばよかった」と話すその人の表情に、どこか自分を重ねていた。
そして気づいた。これは、誰にでも訪れるタイミングなのだと。
現役で走っていた時間が終わりを迎えるとき、次のステージを探す人は多いのかもしれない。

私も、ようやくその入口に立ったのだと思った。
それが、私の「第二章」のはじまりだった。

さらに印象に残っているのが、朝の犬の散歩中に交わした近所の方との会話だ。
その方は、定年後に保育園の送迎バスの仕事がしたいと言っていた。
その表情がとても明るく、「これがしたい」と素直に言える人の強さに胸を打たれた。
それを聞いた私は、ふと立ち止まり、こう思ったのだ。
“自分は、これから何をやりたいんだろう?” と。

答えはまだ見つかっていなかったけれど、
それでも「次の扉を探したい」と思った気持ちは、今でもはっきり覚えている。

振り返ってみれば、あの瞬間からすでに「第二章」は始まっていたのだ。
静かに、でも確かに。

“今日もいっぱい来てくれたよ”と答えるけれど

子どもに「今日もお客さん、たくさん来てくれた?」
そんなふうに、聞かれることがあります。
私は、決まって笑顔でこう返す――
「うん。いっぱい来てくれたよ」って。

だけど、実のところ、胸の奥では少しだけ引っかかっている。
「本当に、自分の仕事に満足しているのか?」
「“いっぱい来てくれた”という基準は、何なんだろう?」って。

お客様の数の話ではない。
店の売上や回転率の話でもない。
私が引っかかっているのは、“自分自身の納得度”のようなものだ。
今日は手応えがあったか。
本当に丁寧な接客ができたか。
料理に、自分の想いを込められたか。
そういう、目には見えない評価。

飲食店を始めたばかりの頃は、「お客様を喜ばせたい」という気持ちでいっぱいだった。
でも、年月が経ち、体力が落ち、慣れが出てくると、いつの間にか“作業”になっていた部分もある。
「自分にしか出せない味」「自分にしかできない応対」を、
出し切れているのかと聞かれたら、素直にうなずけない日もあった。

だからこそ、“今日もいっぱい来てくれた”と答えるたびに、
少しだけ、胸の奥で自分を責める。
もっと良い仕事ができたんじゃないか、と。

でも同時に、そんなふうに思える自分が、
まだ「職人」であり「表現者」でいられるのだとも感じる。
たとえ100点の仕事じゃなかったとしても、
その“悔しさ”が、次の一歩につながっていくのだと、今は思えるようになった。

“おいしかったよ”が、申し訳なく感じてしまうとき

「おいしかったよ、また来るね」
そんな言葉をかけていただけるのは、飲食業にとって何よりの喜びだ。
それは本来、感謝すべき瞬間であり、心の糧になるひと言のはずだ。

けれどある時期から、その言葉が胸にすとんと入ってこなくなっていた。
「ありがとうございます」と笑顔で返しながら、
内心ではどこか申し訳ないような気持ちが、もやもやと残る。

なぜなのか――
それは、自分が“納得のいく仕事”ができていないことを、
誰よりも自分自身が知っているからだと思う。
体力の限界を感じ、集中力も落ち、
料理も接客も、かつてのように「全力」ではいられない日が増えてきた。
それでも休まず店を開け、目の前のお客様に向き合ってきたけれど、
「今の自分は、あの頃の自分より劣っているのではないか」
そんな思いが心のどこかに根を張っていた。

お客様には何の罪もない。
むしろ、変わらずに足を運んでくださることに感謝しかない。
なのに、自分の内側にある“未完成感”が、
その言葉をまっすぐ受け止めることを妨げてしまう。

でも最近、少しずつ思えるようになった。
たとえ100点じゃなかったとしても、
「そのときの自分ができる限りの精一杯」を込めたなら、
その言葉を素直に受け取ってもいいんじゃないかと。

きっとお客様は、“完璧な料理”を求めているのではない。
その店、その人、その空間がくれる“心地よさ”を求めて来てくれているのだ。

だから今日からは、
「おいしかったよ」と言ってもらえたら、胸を張って「ありがとうございます」と返そう。
そして、また明日も“今の自分にできる最高”を目指して、丁寧に向き合っていこうと思う。

ちょびと草花が教えてくれた“あるがまま”の強さ

飲食の現場にいると、いつも「うまくやろう」「頑張らなきゃ」と、
気を張ってしまうことが多かった。
けれど、ふと立ち止まったときに心を静めてくれたのは、
意外にも、ちょび――我が家のゴールデンレトリバーと、花壇に咲く草花たちだった。

ちょびは、本当に穏やかな犬だった。
ただそこに居て、静かにこっちを見つめてくれるだけで、
肩に乗っていた“何か”がふっと軽くなる。
感情の起伏がなくても、何かを語らなくても、
「一緒にいる」ことの意味を教えてくれた存在だった。

そして、草花もまた、同じように私に語りかけてくれる。
強風にあおられて茎が折れても、翌日には陽に向かって少し顔を上げている。
雨に打たれても、誰にも文句を言わず、じっとそこに根を張っている。
“あるがまま”を受け入れて、ただ自分の命を全うする姿に、
私は何度もはっとさせられた。

人間はどうしても、「うまくいかないのは環境のせいだ」とか
「誰かがこうしてくれたら…」と外に理由を求めがちだ。
でも、草花やちょびは違った。
どんな状況になっても、文句を言わず、抗うこともなく、
ただそのままの姿で、生きる力を見せてくれた。

ちょびが旅立ったとき、その潔さに胸が詰まった。
病気とわかったその日も、変わらず私を見つめ、変わらずそばにいてくれた。
悲しいのに、どこか清らかで、「こんなふうに生きたい」と思わせてくれた。

“無理をしない”ということ、
“立ち止まる勇気を持つ”ということ――
それは、彼らが何度も私に教えてくれたことだ。

今の私は、少しずつだけど、その“あるがまま”を受け入れられるようになってきた。
それが、「第二章」の生き方の芯になる気がしている。

“潔く、じっとその場で”――見習いたい生き方

人は、何かがうまくいかないとき、つい理由を探そうとする。
「あれのせいだ」「これが足りない」
あるいは、「もう歳だから」と、自分に言い訳をしてしまうこともある。

けれど、ちょびや草花を見ていると、
そういった“言い訳”がどれだけちっぽけか、思い知らされる。
彼らは何も語らず、何も求めない。
ただ、あるがままに、そこにいる。

草花は、誰かに褒められたいとも思っていないし、
ちょびも、「がんばってるね」なんて言ってもらうために生きているわけじゃない。
それでも彼らは、その場を離れず、
雨の日も、風の日も、そこに根を下ろし、目の前の「今」を生きている。

思い返せば、私はずっと「なんとかしなきゃ」と焦っていた。
お店を続けること、家族を守ること、お客様に喜んでもらうこと――
それらが自分の「存在証明」だと思い込んでいた。

でも今なら少しわかる。
本当に必要なのは、“がむしゃらに動くこと”じゃない。
必要なのは、“立ち止まる覚悟”と、“耐える強さ”だ。

ちょびが最期の日まで見せてくれた静かな生き方、
台風で折れた枝からもまた芽を出す草花のたくましさ。
それらは、派手でもないし、誰かに評価されることもないけれど、
どこまでも力強く、まっすぐだ。

「第二章」――それは、新しい挑戦の始まりではなく、
むしろ、“自分に戻る”ための時間なのかもしれない。
無理をせず、飾らず、ただそこにいて、
その場でできることを、静かに重ねていく。
そんな生き方を、私もしてみたいと、今は本気で思っている。

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